その男はこう呼ばれた。「ガバスナイパーダディー」と。
その男、緩次郎が所属していたのはプモモン王国第19419連隊であった。彼は王である島田や仲間たちから厚い信頼を置かれるスナイパーとして君臨していた。彼は名誉も勲章も欲しがらなかった。彼が欲しがったのはただ1つ、仲間たちの太マラのみである。
彼の生い立ちについては、数多くの謎に包まれている。生まれは貫地町とも、フィリピンか?とも言われているがはっきりしない。名前の緩次郎も本名かどうかすら分からないという。
彼は50歳にしてプモモン王国の軍隊に入団、当時は周りから「何だこのおっさん!?」「フハッ(足腰弱って)ヒクヒクしてる!」など様々な嘲笑を浴びた。しかし彼は、どこで磨いたのか分からない腕で数々の戦功を挙げた。緩次郎は仲間たちに親しみを込めて「ガバスナイパーダディー」と呼ばれるようになった(ガバはプモモン王国の言葉で『凄腕』という意味)。そうして緩次郎が少しづつ仲間たちに認められて来た頃、プモモン王国は隣国のケツピン王国と戦争になった。
ケツピン王国の王であるケツデカは「(プモモンとかいう小国が戦争に勝とうなんて)ちょっと横暴ですね(指摘)」と軽くいなし、大軍を送って国境付近を制圧した。もちろんプモモンの島田も黙ってはおらず、「大きいの(ミサイル)入れてやるからな?」と、総力戦の様相を呈した。
そんな中、緩次郎が属する第19419連隊に出動の命が下る。国境付近で不審な動きを見せた敵兵を射殺するという命だった。緩次郎は腕を鳴らし、いそいそと国境付近へ向かっていった。
彼は大柄であり、身を伏せても分かる巨体は隠せない。だが、彼は付近に生息していた狸に擬態したり、犬のように吠える真似をして敵兵の気をそらし、その隙に撃つという作戦で戦果を挙げた。彼のスコープに捉えられたものは皆、生きて帰ることは無い。気持ちよく(冥土に)inしちゃうのである。だが緩次郎は、殺した敵兵にも祈ることを忘れなかった。周りに敵兵がいないのを確認し、死体の傍に跪く。彼らの魂が迷うことなく冥土にinできるようにまじないを唱えるのだ。
「ぷももえんぐえげぎおんもえちょっちょっちゃっさ」
緩次郎はその奇抜な戦法で多くの功績を挙げ、君主である島田に気に入られた。島田は緩次郎を大佐に任命し、軍の作戦会議などを指揮してもらおうと思っていたが、緩次郎は「パイパイパーイパパイニ”チーッチッチッチッチッチッズォォ」と頑なに断り、島田を驚かせた。緩次郎の意思があまりに硬かったので、島田は大佐には任命せずとも、一般兵として軍部会議に参加して欲しいと言うと、「あーそこ!ポァン!」と緩次郎は了承した。
会議でも様々な功績を挙げ、一進一退だった国境の戦況を大きく覆した。ケツピン軍は半ば敗走気味であったが、緩次郎はここで油断してはいけないと「勝つ…硬い…考究…(国境奪還を目指そうの意)」を掲げ、ついには戦況を盛り返すことに成功。島田もこの功績には大いに感動し、「何が欲しいんや?」と褒美に欲しいものを聞く。
だが緩次郎は「そこっ!(ニュータイプ)世界…合体…平和ください?」と、ケツピン王国と和解して欲しいと島田に進言した。流石の島田も「えぇ?(困惑)」「(平和にして)ナニガキモチーノ」と呆れる始末。ほとほと困っている島田を後目に、緩次郎は「(島田が和平交渉に行かないなら)オレガイッチャウウウウウウウ!!!!!」と単独で敵地へ向かおうとしたため、島田は参ってケツピン王国と和解することを決意した。実に1919191919419時間にも及ぶ戦争は、ここに終結したのである。
敵国が列を成してやってきたのを見てケツピンは「きしょい…(本音)」と驚愕。更にやってきた目的は和平交渉というのだから、これには参謀のOGMMも「トイレに引きずり込まれて、フェラさせられて、バックも掘られて…」と今後の未来を悲観した。
ケツピン王国はプモモン王国の油田を征服すべく、戦争を仕掛けていたのだが、プモモン王国側はそれを知らずに防戦していた。和平交渉の結果、プモモン王国は石油を輸出する代わりにケツピン王国特産の太いシーチキンを輸入するという貿易交渉がまとまった。2国の王が手を取り、固く握手を交わした。1941年9月のことである。
さて、ガバスナイパーと呼ばれた緩次郎だが、戦争終結後の消息を知るものは誰もいない。戦勝記念の宴や殊勲の戦士を讃える催しにも現れず、ひっそりといなくなったのだとされていた。
だが、近年発見されたプモモン王国の歴史書によれば、緩次郎の存在が秘匿されていたことが判明した。なぜあれだけ大きな功績を挙げた緩次郎が存在を抹消されることになったのか。その原因は、彼の少々特殊な癖であった。
島田は和平交渉が成立した夜、緩次郎を自身の部屋に呼び出した。彼は今回の戦争や和平交渉において大きな功績を挙げたために、国の英雄として扱い、褒美を授けたいと思ったからである。
かくして緩次郎が部屋に現れた。島田は「何が欲しい?欲しいって言ってみや。」と言ったところ、緩次郎は「太いおちんちんください?」と言ったのである。
そう、緩次郎は太マラをおねだりする癖があった。そのおねだりの矛先は、無惨にも君主である島田に向かったのである。島田も初めは困惑したが、徐々に乗り気になり「欲しいんだろ?喜ぶんやど。」と緩次郎に自身のそれを差し出した。
が、島田のそれは太いおちんちんとは遠くかけ離れた粗チンであった。太マラが貰えると思っていた緩次郎は「ブルルルルルァ!」と威嚇し、「キモ…(直球)」と罵倒した。これには流石の島田もカンカンに怒り、衛兵を呼び出して緩次郎を国外へ(物理的に)放り出してしまったのである。その後の緩次郎の消息は全くもって分からないが、島田の良心によって命だけは助かった彼は、今もどこかでスナイパーのダディーとして生きているのかもしれない。
かくして伝説のスナイパー、緩次郎ことガバスナイパーダディーは姿を消した。そして、島田も死んだ現在、そのことを語るのは古文書と、衛兵の末裔のみである。
「貴゛様゛ら゛ぁ゛!!!!!」緩次郎が国外追放される前、最後の言葉であったとされる。